メンタリングの心構えについて掘り下げます
メンタリングのマインドセットを考える前に、まずマインドセットとは何なのかを理解しておくとよいでしょう。オックスフォード英語辞典によると、Mindsetとは「確立された一連の態度、とりわけ特定の集団の社会的・文化的価値観に典型的なものとみなされるもの」です。人が何かに取り組む動機は個人によって異なりますが、マインドセットは、その動機を集団の価値観に沿う方向へと導くものです。Exercismのメンターにとってこれは、Exercismコミュニティの精神に沿ってメンタリングを進めることを意味します。
Exercismについてのページに書かれているExercismの目的に目を通しておくとよいでしょう。書かれていることはすべて読んで考える価値がありますが、とりわけ次の言葉は重要です。
メンティーの心持ちは、一見するととっつきにくいものに見えるかもしれません。
メンティーの中には、コメントに自分を卑下するようなことを書く人がいます。「あまり頭がよくないんです」「よくわかりません」「これはあまり得意じゃないんです」といった具合です。こうした言葉に、思いやりと温かさを重んじるExercismの精神で直接向き合いたくなるかもしれません。しかしメンターとしては、漠然とした励ましを送るよりも、その解答のどこが良いと思ったかを具体的に伝えるほうが効果的なことが多いです。その解答について心からほめられる点が何もないとしても、テストに合格したことを祝うことはできますし、テストに合格していなければ、少なくとも努力を認めてあげましょう。
メンティーの中には、否定的に受け取られかねない書き出しでコメントを始める人もいます。「どうしてこんなことをしなければいけないんですか?」のような書き方です。まるで「どうしてグリーンピースを食べなきゃいけないの?グリーンピースなんて大嫌い!」と文句を言っているように感じられるかもしれません。対立的な出だしに見えるせいで、その人をメンタリングする気がそがれてしまうかもしれません。しかし、反抗や不満のように見えるものも、少しぶっきらぼうに表現されているだけで、単なる質問であることもあります。
メンティーの多くは、英語が母語ではありません。 メンティーの最初のコメントが、実際よりも冷たく見えるもう一つの理由は、これかもしれません。
そのコメントで自分がどんな感情を刺激されたとしても、いったん脇に置いて、質問にだけ答えましょう。
これは、メンティーの心持ちがどう見えようと、それに対するメンターの対応のしかたが影響を受けないようにすべきだ、ということを示す二つの例にすぎません。
メンターの心持ちは、誇りに基づくこともあれば、謙虚さに基づくこともあります。自分は賢いから、あるいは一定の経験があるから、メンタリングする_資格がある_と感じるメンターもいるでしょう。ほかの人よりよくわかっているから、自分がメンタリングすべきだと思うかもしれません。誇りに基づく心持ちのメンターでも、相手への共感というよりは寛容さからではあっても、忍耐強く礼儀正しい導きでメンティーに接することはあります。
あるいは、謙虚な心持ちのメンターもいるでしょう。プログラミングの学びで自分がどんな壁にぶつかったかを、よく覚えているのです。自分がすべての答えを持っているわけではないとわかっていても、_いくつかは_知っていて、苦労して得た知識を分かち合おうとします。謙虚な心持ちのメンターも人間ですから、難しいメンタリングセッションに、そっけなく、あるいは言い争うように返したくなることがあります。どんなに善意の人でも、調子の悪い日には自分の言動に気を配る必要があります。
誇りに基づく心持ちの変形版ともいえる、三つ目の心持ちがあります。それが、自信のなさです。メンターは自分の評判に不安を感じ、その埋め合わせとしてメンティーからの承認を求めることがあります。自分がどれだけ詳しいかを示そうと、大量のデータや参考文献でメンティーを圧倒するかもしれません。メンティーがそうした情報の山から役立つものを得ることもありますが、それは自信のないメンターにとっては副次的な目的にすぎません。第一の目的は、自分がどれだけ知識があるかを示すことです。動機は違っても、メンティーを細かい話の迷路に迷い込ませない範囲であれば、自信のないメンターもExercismのマインドセットが目指すものを達成できることがあります。
事実の正確さは確かに重要で、きちんと役割もあります。たとえば、メートル法の単位が想定されている場面でヤード・ポンド法の単位を使わないことは重要です。そうでなければ、3億2700万ドルの火星気候探査機が墜落することもあります。プロとして言語を使う人には、正確さを重要な要件として守ることが当然求められます。
しかし、言語を_学んでいる_人にとっては、求められるものは少し違います。まず第一に、その人がその言語を学び続ける意欲をそいではいけません。メンターの中には、とくに誇りに基づく心持ちの人には、その人に、自分は特定の言語に向いていないかもしれない、あるいは今はその言語を学ぶ段階ではないかもしれない、と気づかせることに達成感を覚える人がいるかもしれません。それが職場によっては受け入れられる結論であっても、Exercismのマインドセットが目指す結論ではありません。
一つの例外は、初めてのプログラミング言語を学んでいる人です。 Exercismは、すでにプログラミングのしかたを知っていて、別の言語を学びたい、あるいは今のスキルを伸ばしたいという人を対象としています。 今後のLearn to Codeプラットフォームは、これからプログラミングを学び始める人に向けたものになる予定です。
メンタリングを求める人の多くは、数週間から数か月プログラミング言語を学んでいて、覚えた基本をさらに伸ばしたいと考えています。その人が別の言語の経験を持っているとは限りません。これが初めての言語であっても、基本的なキーワードや概念を身につけていれば、メンタリングを受けることで十分に成長できる可能性があります。もう少し忍耐と説明が必要な場合もありますが、メンターが最初にメンタリングの依頼を引き受けたときには、それに気づいていなかったかもしれません。しかし、いったんそのやり取りを引き受けたなら、Exercismのマインドセットでは、多少の手間がかかってもできるかぎり支え、励ますか、あるいはメンティーが別のメンターに改めて依頼できるよう、礼儀正しくセッションの終了を提案するかのどちらかです。
もちろん、メンティーがその言語を続けて学ぶのをやめると自分で決めることもあります。多くはおそらく何も言わず、その言語の演習を解くのをただやめてしまいます。しかし、メンタリングセッションの間は、誠実に支え、励まし続けるべきです。ただ、その方法は一つではありません。やってはいけない方法の一つが、有害なポジティブさで接することです。たとえば、相手が何かを理解できずに苦しんでいるときに、「きっとわかるはずだよ」と励ましのつもりで言い張るのは、助けになるどころか、相手を「自分は劣っている」と感じさせてしまいます。「さあ、まだわからないの?」のように聞こえかねない励ましで背中を押すより、違う説明を試したり、別の例を出したりし続けるほうが助けになることが多いです。
メンティーが、メンターと何度かやり取りしたすえにたどり着いた解答は、最も性能が高いものではないかもしれませんし、コーディング規約に_完全に_準拠しているとも限りません。メンティーに完璧な解答を求めようとするのは、Exercismの精神にそぐわない、絶対的な事実の正確さの一例です。その解答は十分に良いかもしれません。その場合は、技術的な洗練は別のメンタリングセッションに取っておけばよいのです。
メンターは、自分の義務が何なのか確信が持てないことがあります。義務はわずかで、しかも単純です。役に立ち、励ますことです。もし途中で、そのどちらもできないと感じたら、メンティーが別のメンターに改めて依頼できるよう、礼儀正しくセッションの終了を提案するのがよいでしょう。メンターがメンティーに話し合いを終えるよう促すのが一番よいこともありますが、メンター自身が話し合いを終える必要を感じたなら、その理由を説明する最後のコメントを添えて終えるのが礼儀です。セッションを満足のいくものにしなかったメンティーの欠点に目を向けたくなるかもしれませんが、メンティーに非を向けないほうがExercismの精神にかなっています。
Exercismの協力の精神が最もよく表れるのは、(より良い)解答をただ教えてしまうのではなく、使える別のやり方を示し、その提案の実装をコードで書くのはメンティーに任せることです。行き詰まったときのために、解答を_任意で_見られるようにしておくこともできます。折りたたみ式の詳細セクションに載せた短いコード例でもいいですし、公開された解答へのリンクでもかまいません。セクションを開くか、リンクをたどるかは、メンティーが選べます。
メンティーが、ある提案のほうが好みだと認めつつ、今後のために覚えておくと言うこともあります。メンターは、その提案に基づいた解答をもう一度提出してみてはどうかと勧めることもできますが、メンティーは元の解答を変えずに話し合いを終えると決めるかもしれません。自分がメンタリングしたと表示されている公開解答が、もっと良くできると思う内容だったとしても、少し気恥ずかしいだけです。メンティーがその気になっていないようなら、提案の実装を押し付けないことが協力の精神にかなっています。
協力の精神が働くもう一つの形は、メンターがメンティーから学ぶことです。セッションの途中で、メンターが知らないことをメンティーが持ち出すことがあります。メンターは「何でも知っている」ふりをする必要はありません。メンティーが持ち出したことについて、知らなかった、あるいは考えたことがなかったと伝えても、まったく問題ありません。相手が自分に何かを教えてくれたと伝えることは、メンティーに与えられる最大級の励みの一つです。それも協力的な学びの過程の一部です。